がんばれるのか、私。

夫婦関係がこじれてからの、再スタート。嬉しかったことや日頃のうっぷん、疑問、つづります。

夫を拒否し続けた理由

ご無沙汰しております。

あれから大揉めに揉めて離婚騒動にまで発展し、
まだ、収集はついていません。
ただ、少しずつ私は自分の気持ちと向き合い、整理し、色々なことが分かってきて、
かなりイライラが少なくなってきました。
妊娠出産から気が立ってイライラし続け、自分でもそれが辛かったこと。
どうすればよいかわからなかったこと。
だから、今回のことは意味があったと思います。
私は可能な限り、別れを選びたくないのですが、悲しいことに相手はそう思えていないと思います。
取り敢えず私としての気持ちがまとまったことを、書いていこうと思います。
とても勉強になり、ひとつ成長できた一ヶ月半だったのではないかと思っています。
 
これから一人目を出産する人、また同じような経験をした人に参考になればと思います。
 
まず、こちらのブログにも書いてきたような、夫とのスキンシップや性生活をできなくなってきてしまった理由。
ブログにはなんてだろう?なんてだろう?と書いてきました。
悪いなと思いつつ、キツめにあたってしまうこと。
拒否してしまうこと。
そう、罪悪感が全くなく、拒否してるわけではありませんでした。
 
「そういう気持ちになれない」
 
夫婦なんだから我慢してやれや。
と思う方もいるかもしれません。
SEXは義務だ。拒否するほうが悪だと。
確かに、夫にとってはかなり酷だろうと、私だってわかっていました。
無理強いされたことはありません。
断れば辞めてくれ、大変感謝しています。
 
私は、そこで自分を我慢して、夫の応対をしていたら、
多分自分の何かが壊れてしまい、夫のことを大嫌いになっていたと思います。
大嫌いというか、存在自体を拒否することになっていたのではないかなと。
それを自分で制御し、「嫌だ」という感情をもって止めていたことを理解しました。
勿論、それが正しいとは思えません。
 
私はもっと早く、この「嫌だ」の感情と、この気持ちが湧いた理由、どうしたらそのような感情を無くせるのか、
放置せずに夫と話し合うべきだったのは、言うまでもありません。
私も忙しさと余裕のなさ、夫との生活リズムの違いで働きかけなかったこと、
夫は求めてくるだけで限界になり爆発するまで私を理解しようとは思わなかったこと。
それが今の結果です。
 
レスになったきっかけは、
勿論妊娠からです。
妊娠中は悪阻がかなり酷く、病院で何度も何度も点滴をし、
夜も寝れず吐き続ける生活でした。
全てが初めての経験で、変わっていく体やホルモンバランスとの戦いでした。
いつ悪阻が終わるのか。先の見えない不安と苦しみ。
「初めての経験」に伴う余裕のなさは、妊娠中だけでなく、育児でもつきまといました。
しかも仕事はフルタイムに加えて安定期に入るまで、21時、22時に終わることも度々あり、
かなり毎日「生きること」に精一杯な日々でした。
お客さん抱えてて、時短を取るにも取れない雰囲気でしたし、
身体が持つならば…と飴を1日一袋食べながら頑張るという生活。
後期は逆子で蹴られるところが違うことでかなり辛すぎる生活。
免疫がおち、カンジダは治らないし、喉に臭い玉は取っては出来、取っては出来、を繰り返さしました。
勿論、性生活なんて出来ません…。
その上、体力的にも余裕もなければ、ホルモンバランスもあり、夫にあたってしまうことも度々ありました。
優しくしてくれるのに、申し訳ないなと思うこともありました。
仕事をセーブすればよかった、今は強くそう思っています。
夫はよく受け止めてくれていたと思います。
 
出産をしました。
私は逆子帝王切開で、お腹を切って産んでいます。
ホルモンバランスがかなり崩れたことが自分でもわかり、
わけもわからず不安になり、産後うつになるかもと思ったこともありました。
メニエールになったり、悪露が3ヶ月以上とまらなかったこともあり、最初に性生活をもったのは、産後半年だったかと思います。
ただ、帝王切開の傷が一年は痛みました。
やっぱり、そのSEXのときも痛みました…。
求められたからしてみた久しぶりのSEXは、慣れなくなった膣の痛みと、手術の痛みで到底楽しめるものではありませんでした。
特に事前事後、身体を心配されるようなこともなかったことも、私の中でひっかかりとなってしまったのかもしれません。
そして日々のどうにもならないような体力的な疲れ。
もちろん私が母親モードになっており、切り替えができなかったということもあります。
娘の隣で、という嫌悪感もかなり沸きました。
どうしても娘を隣にして行為を行うのは、大人のこのような行為が汚らわしく感じる瞬間でした。
 
この産後最初のSEXがきっかけで、
性生活が戻っていく方も多いのではないかなと思います。
私は上記の苦痛がまずあり、次をしたいと思えなかったのが一つ、理由となっていきます。
その後は3ヶ月に1回あるか、くらいの頻度で、これ以上断ってはいけないと、私も頑張らなくてはという気持ちをそのスパンで持ち直し、求められてとりあえずしてみるというのを繰り返すことになります。でも、同じことでした。
どうして気持ちよく感じられないんだろう、その繰り返しです。
ホルモンも母になってしまっている中、どうしたら昔みたいに楽しめるのか、を考えずに話し合えずに来たんだから、解決するわけがありません。
話をするわけでもなく、求められたら応じる、これが出来る状況ではなかった。
それどころか、疲れた体、精神、「夫への不満」、とつながっていくわけです。
そして、いらだち、手を振り払ったことも、日常生活で冷たくしたこともあり、申し訳なく思っていますが、当時はそうすることでしか、自分を保てなかったのも確かです。
ただ、汚い、臭い、気持ち悪い、二度としたくない等暴言は勿論吐いていません。
正直、理由がわからずそのような気持ちになれなかったので、胸を触られると、嫌だ、や、触らないで、は言ったことがあるとおもいます。
ぎゅっとしてくれるだけでいい、手をつないで寝てくれるだけでいい。
まず、私はそれでよかった、そうして戻っていきたかったけど、
ぎゅっとすれば、体を触られ、胸を触られ、夫はその先をみている。
こんなに出来ないと断る状況なのに、毎回同じ誘い方しかせず、私に今日はしてよいか、聞いてもくれない。
どうしてできないのか、問いかけもしてくれない。
そしてやはりSEXを求めてきて、結局それか、とその下心に失望していく形にもなってしまうわけでした。
ただ、今でこそ分析して分かるのですが、当時はどうしてこんな感情になってしまうのか、ちっともわかりませんでした。
いらだち、困惑し、苦悩する。どうしてこうなってしまうのだろう、と。
ただそれだけでした。
 
また、中でも上記「夫への不満」というのもかなり大きな一つの要因です。
それは次の記事に書きます。
 
そして、私でさえ分からなかった自分の気持ちを夫が知る由もないのです。
必然的に、私の態度に傷ついていくことになるのです。
そして、そこまで傷つけてしまったことを知ったのも、私の気持ちをなにも知らなかったことを認識したのも、ようやく今回の一件で。
「拒絶されるのは、本当に辛い。」
この言葉で、私は我に返り、感覚を取り戻しました。
やっと分析をしていこう、話さないとわからない、そんなことに気が付いたのです。
やっぱりきっかけがないとだめだったのかもしれません。
もう少し早く、彼が限界に達する前に話が出来ればと思ってやみません。
 
上記の対応を繰り返すことで、彼の結論は、
「愛情がなくなってしまった。二人目をかんがえることなんて、今後ももうできない。
時すでに遅しとなってしまった。」となってしまいました。
 
 
次の記事に続きます。