がんばれるのか、私。

夫婦関係がこじれてからの、再スタート。嬉しかったことや日頃のうっぷん、疑問、つづります。

私の不満・ストレス

 

妊婦のころから実家に入る前まで家事を手伝ってくれ、夫は優しい人だと思います。

私がすることに指摘は多かったですが、やってくれることに本当に感謝していましたので、なるべく夫のレベルまで引き上げようと自分の改善も頑張っていたし、それも見ていてくれたと思います。

実家に入ってからも家事自体は恐らく他人の家に入ったことによって減ったものの、

土日は夕食をたまに作ってくれたり、手伝ってくれていました。

ありがとうと伝えてきたと思います。

 

 

遡って思い出してみます。

初めての育児が始まりました。

ここから理想と現実に苦しめられることになります。

マイナス面の感情・受け取り方をかくことになりますが、ご承知おきください。

 

まず初めは、たばこをやめてくれないことから始まりました。

生まれたらやめてくれるかなあ。

別に子供を作る際や妊娠中にやめろと強要したことはありません。

つわりではかなり匂いはきつかったですが…。

ただ、考えてやめてくれるかとも思いましたが、それは望めませんでした。

結構、周りは旦那様が妊娠中に止めてくれたという方も多く、どうなるかなと期待も少しだけしてしまったということもあります。

でも別に、何が何でも奪い取ろうとは思いません。

産まれてからもそう思っています。

お金もかかるし身体にも悪いけど、自分自身のために必要なことなんだろう、と受け止めています。

 

産後、退院して二日三日頃、ちょうどGWの時期にあたり、毎日夫がいてくれる期間がありました。

その時期に、「暇だね」といって、飲みに行ったこと、一人で外に出てしまうこと、これも忘れられないと思います。

「暇」・・・確かに生まれたばかり、笑わない、泣いてばかりの赤ちゃんとそれにつきっきりの私。

しかもGW。普段なら二人でたくさん出かけていた。まあ、暇でしょうね・・・。

でも、それを暇だといい、行動してしまうところが私にはなんとも言えない気持ちになる一つでした。

暇という感覚が、産んだ私にはないからです。

色々やり方とか教えて欲しい、そんな風にコミュニケーションをとりながら、初めてのことですし、見ているだけでなく、少しくらい進んで覚えてもらえて、夜中は交代するからとか、午後は授乳をするから寝ていてとか、お休みってこともあったので、助け合えるかなぁと思っていたのですが…

それが、暇だときたもんだ・・・。何とも言えないあの時の感情は、今でも忘れません。

暇なことはまあわかるので、いっておいで、と言ってしまいますけどね。

 

そして、私は乳首の形状が悪く、娘は咥えることを嫌がり、泣いてしまうので、産後一ヶ月ちょいまで搾乳をしていました。

飲ませて、寝たら搾乳。それは、直にあげられれば一回で済むものが、更に時間がかかることで、自分の寝る時間を削らなければなりません。

一ヶ月ちょいたってから、疲れがたまりすぎてしまい、メニエールの症状がでてしまい、病院へ行き、夫に休んでもらい、義母に家に来てもらうという状態になってしまったので、私の身体が一番、倒れては意味がないと考え直して、完ミに切り替えました。

そこから、ずーっと、今もたまに言われますが、

「ママのおっぱい飲めなかったね、かわいそうだね」

 

と娘に話しかけられることがどれだけ母として駄目だと言われているようで傷ついていたか。

辛かったし、今も言われるととても気持ちが苦しいです。

 

また、普段の日常では、

夫は夜が21時以降の帰宅となるので、一般家庭である、食卓を一緒に囲むだとか、

お風呂に入れてもらう、ということはかないません。

平日は一手に私が家事・育児を引き受けます。

それは別にかまいません。

一生懸命働いてきてくれるのに、感謝こそすれ、他にはなにもありません。

ただ、私にとってもこれは結構孤独な戦いで、夫が帰ってくる時間、もう私は眠たくて、体力も限界のことが多いです。

毎日細切れ睡眠で寝たような気がしない日々でしたが、

子供の成長はとてもうれしく、本当にかわいく、何より楽しみでした。

一方で、夫とは話す時間が減り、孤独感は増していたと思います。

話したいのに体力がないのですからね・・・。

夫はもちろん土日は一緒に過ごしてくれ、一緒にでかけてくれます。

家事も一緒にやってくれ、ご飯を作ってくれたり、本当に感謝しています。

 

その年の冬、一つ私の中で何かが壊れてしまう出来事が一つありました。

夫がクリスマスの時に、会社の女の子とプレゼント交換をした、という話でした。

新品の手袋をもっていたので、どうしたのそれ、と問いかけたのが始まりです。

プレゼント交換をするということまでは、特に気にする点でもありませんでしたが、

その時の話をする彼の対応でした。

「誰と?」『秘密。いいでしょ。もてるからね、俺。』「あそう・・・。」

この時に、いったいなんなんだろうと思ったのはいうまでもなく、心に穴が開きました。

生活が一変して、毎日毎日子供を向き合うのに一生懸命な私。

父親になったにもかかわらず、「女性」を求める彼。

私にとってはかなりの屈辱でした。

当時はどうしても女性になれなかった。妻としたって余裕がなかった。

母であったのです。

切り替える余裕も場(夫の帰宅時間以降の時間的余裕)も一日のうちにないのですから。

夫は、「おれ、もてるから」をしょっちゅういうようになっていました。

夫なりのSOSだったのかもしれません。男としてみてくれよ、と。

そのやり方がよかったのか・・・いや、私の感情を逆なでするだけになっていたのかもしれません。

だからこの現状なんでしょう。

毎日体力勝負の生きることで精一杯な不器用な私。

それを理解するそぶりもなく、主張する夫に諦めの念を抱いた時だったと思います。

 

また、子供は0歳児クラスから保育園に通わせ、仕事復帰を果たすようになります。

そこで環境は変わります。

私は職場と子供とで分刻みの毎日です。

久々の仕事に慣れるストレス、時短で終わらぬ仕事を残して帰るストレス、

焦って処理してミスするストレス、どうしても終わらないものは部署の人に頭を下げてお願いして帰るストレス。

数えきれないほど、消化してきたと思います。

復帰後一年は、どれだけ夜枕で悔し涙を流してきたかわかりません。

正社員としてそれなりの責任を負っています。

以前のようには働けないんです。

終わらなければ残業をすればいい、それが出来ない辛さ。

何かあったって同僚や友達を気軽に飲みに誘ってストレス解消、なんて出来ない辛さ。

そして、帰ってからのことも考えなければなりません。

全てが初めてで、慣れるまでかなりの時間を要しました。

 

病気の時は、交代してくれ、どうしても私がしなきゃいけない処理の時は早く帰ってきてくれる夫にはとても感謝しています。

悪いなと思う気持ちと共に。

 

また、子供が少し大きくなると、遊び始めるようになります。

朝の起床は早いです。

5時台に遊ぼう、外に行きたいなんてザラです。

仕事前に連れ出したりします。

仕事を始めてからしばらくは5時おきがデフォルトでした。

7:15に家を出ないと私は間に合わないし、娘も起きてきてしまうので。

ただ、夫が自ら娘の面倒をみようと朝早く起きたことは、産まれてから今の今まで、一度もありません。

私が胃腸炎で吐きつづけた夜の翌朝でさえ、です。

休日も絶対9時以降です。

 

保育園の準備、雑務も全て私。朝は送りをしてくれていますので、有り難く助かっていますが、忘れ物をしていたら攻め口調なのも辛かったです。

保育園のお手紙も置いておけば読んでくれるとのことなので、読んでもらえるよう置いておいたこともありますが、その後、読んだよしまっておいてね等声掛けもなく、内容について朝話すわけでもなく、行事について興味を持って聞いてくれるわけでもなく、いつも私からこれがあるよ、こうしてね、となってしまうどうしても一人で育児をしている感覚が拭えませんでした。

会話の幅もだんだんと狭まってきているのも感じていました。

何度も色々と伝え続けましたが、一向に変わる様子はなく、

三日坊主であったり、「自主性」という観点では少なくとも私には少しも感じられなかったことが、苦しみとなっていたのかなと思います。

 1歳〜半年は、仕事復帰の後、本当にかけらの余裕もなく、娘の写真やビデオすら撮って残すという発想まで消えていた頃でした。

平日は、仕事と育児と家事、土日は頭を少しでも休ませながらの育児…基本的には色々と考えたくなく、とにかく生きること、育てること、これに必死でした。

あとから、この期間の写真やらが少ないことに気がついた夫は、なんで撮らなかったの?可哀想、と私に言いました。

 

全て、私が悪いんですね。

やってもダメ、やらなくてもダメ、自分からやるって発想、あなたにはないの?と思うようになります…。

私一人の責任なの?

 

私は諦めることを覚えていきます。

 

娘の便をしたおむつを替えることを嫌がったり、

自主的に遊びに誘うことも苦手だから出来ないといわれたり、

それは向いていないからと言い訳されたり。

私だって得意ではないんです。

でも試行錯誤しながらやるんです。

平日は何もしないのだから、せめて休日は考えながら向かい合ってほしい。

そう思うのは間違いなのでしょうか。

育児も含め、全ていいとこどりはなりたたないんです。

得意なことだけ、やってもいいことだけする、ではだめなんです。

お互い様かもしれません。

苦手、といわれて、携帯ゲームや漫画を読まれていると本当にイライラしてしまうのです。

少しでも「自主的に」かかわらないと子供はわかります。

嫌々対応されていることに。

何度伝えても、促しても変わりません。

案の定、休日のお風呂でさえ、パパとはいってといっても嫌がります。

ママがいい、と何でも言い出すようになります。

そしてまた、その対策や解決を図ろうとしないのです。

自主的にかかわってくれないのに、しつけや注意ばかりする人は嫌なのはわかると思うのですが。

はたして理解をしていたのかは謎です。

嫌がるから。で終わりです。すべて受け身なうえに、後ろ向きです。

なんとも生産性がなく、失望感がわいてしまいます。

それでは、「教育」はできません。

普段のかかわりや遊びがあってこそ、子供は受け入れてくれるのですから。

 

私たちの「親」としての成長はそこにあると思っていました。

人生は学ぶべきことがあり、

段階として、いま、結婚から育児に入り、人間としての第二段階の修業を始めたと思いっています。

一回り大きくなり、人間的にも年を取るにあたって成長すべきところ。

産んで、そのあと、大人が我慢や無理をしないで子供を育てられることなんてないんです。

我慢だったり、苦痛だったり、葛藤だったりを、私たちも子供を通して、学ぶ時期で。

楽しいことばかりではありません。

子供に対してだけは、苦手だって、自分を変えなきゃいけないところがあるんです。

その子にあった対応をし、責任をとっていかなければならない。

間違いだって経験しながら、試行錯誤するのです。

それが親の義務であり、この時期の醍醐味であり、勝手に努力もしないで父母にはなれないんです。

苦悩のなかに喜びや楽しみをみつけ、生きていく。

これが大前提だと私は思っていたので、どんなに苦しくてもかわいい子供と、

運命共同体の夫と共に成長していきたいと。

二人で産んだ命、「手伝う」感覚では困ると…。

話もしてないんだからわかるはずもないはなしですね。

 

 

ざっくり、これだけでも長くなってしまいましたが、

もっともっと日常の中では細かな苛立ち、諦め、失望、たくさん育児を通してありました。

ありがたい、と思うことももちろんありますが、どうしても女の私の方が、子供が産まれたことで生活が一変し、すべて自分を二の次にしなくてはならずに。

なので、それと同じくらい、またそれ以上に不満やストレスがあったことも事実です。

おまけに働いている時間があり、普段はなれているから家に帰れば、娘が一番となってしまう気持ち、また、疲れている身体や心を休ませることを優先してしまいました。

 

乳児期を卒業後、夫は、私がストレスを感じないよう、一日見ていてあげるよ、でかけておいで等たまにいってくれ、改善を図ったと主張してくれましたが、それ自体は本当にありがたいと思っています。

けど、上記の状態では、あずるけるのが不安な気持ちも多く、ゆっくりできません。

一度、ショッピングモールでトイレに行く間見ていてねとお願いしたら、ベンチから落ち、ブロックのあるところで、そこへ頭をぶつけ、頭が切れてしまうということがありました。

短い時間でさえみていられないのか…と思ったことを覚えています。

日常から信頼できるように取り組んで、助けてほしい。

 

 

また、これだけでなく上記のようなそれとは別のところにも色々と積もり積もるネガティブな感情があり、

そこには伝えても気づいてくれないところがあったんだなと、思います。

受け入れたくなかったのかもしれません。

「でも」、「だって」で色々と拒否されてきたのですから。

(夫は私はでもだってばかりで話にならないといいますが、

自分自身がかなり言っていることはどこまで気が付いているのか・・・と私は思っていましたが…愚痴になってしまうのでよくないですね。。。似た者夫婦なのかもしれません)

責任を果たしている、のレベルが違うんだと感じます。

私にとっては日常で自然と手を貸してくれることを望んでいたんだと思います。

土日だってお風呂に入れてくれるわけでもなく、寝かしつけをしてくれるわけでもない。

「ママがいいって言うから」と投げられてしまう…。

説得するでもなく、改善しようと試みるもなく、結局やりたくないからそこで終了してしまうのが私には分かってしまっていました。

二人三脚ができていないような、悲しい感覚でした。

もっと伝え方をかえることを考えていくべきだったかもしれません。

もしくは、人は変えられない、伝えるのでなく、そこは諦めて、楽しくやっていこう!と思えればよかったのかもしれません。

でも、どうしても目についてイライラしてしまった。

私の自分自身の器の小ささをとても反省しています。

 

そんなこんな上記の積もり積もったネガティブな感情のせいで、

夫に優しくできなくなっていってしまったのも大きな事実・要因の一つだと考えています。

孤独でした。分かってくれない、受け入れてくれない、そういう思いが募りました。

私も甘えたかったんです。

苦しいとき、甘えたかったんだなって思います。(sexではなくて)

その上、苛立ち、余裕がなく、時間もなく、ゆっくり話すことも出来なかった。

でも今は、分析することによっても、時間がたったことによっても、

今回のことをきっかけとして、この辛かった時の自分を私の中でも受け止めることができています。

私も自分自分、となってしまっていたんだなということも今ではよくわかっています。

睡眠欲も起きられないなら仕方ないと我慢してきました。

自分の睡眠欲は取り敢えず、別のところで確保しようと、休めるときに休みました。

必然的に夜は早く寝ることになります。

やはり、交代して欲しい時もあるのに、平日は全く遊ばないのだから休日くらい何か考えて動けばいいのに。

おむつも気にしてもらえず、携帯ゲームばかりで進んでやると言うことは全く無く、なんとも子供に対する意欲の感じられない人に、一日留守にしてもいいと言われても不安を感じるし、信用が落ちていくんです。

そして、家事の小言はずーっと言われ続けている。

思い返してみれば、言われていました。正直余裕がなく、すべてをすべて受け止めていません。

というか、できません…。

平日は全て、土日だって彼と比較すれば7,8割がた家事もしています。

加えて育児は上記の状態で。

改善しようという姿が見えない、それはそこまで私の余裕がないということも、分からないのだろうな、と思います。

細かに神経質に過ごすより、少しでもストレスを減らし、娘に笑いかけて過ごせるにはどうすればいいかを本能的に考えているんだと思います。

 

なぜ、私ばかり。何もしないで言われるならまだしも、最低限のことはやって、睡眠欲も彼を優先し、色々やっているのに文句をいわれなければならないのか?

家事だけでなく、食事もなんとか短い時間で毎日作ったりするけれど、味が薄い、食べられない、合わせが変、…確かに凄く料理上手はないけれど…。

私の母の料理に対しても同じ文句をいわれるので、作ってもらっといて凄く失礼なことしか言えないんだな、と感じました。

そのような積み重ねはどうしても心労となり、そもそもの体の疲れもあり、性欲は皆無になり、彼の最後の砦である性行為を受け入れることが出来なかった。

「なぜ私の身体の不調、気持ちを無視して、気遣いもなく、自分の欲求で求めるばかりなの。睡眠欲も、性欲も。食欲だって否定されることがある。私の本能は全て認められない。」

そして、段々と無意識に守りに入り、余計に解決から遠のいたのだと思います。

寄り添ってくれる言葉が欲しかったし、子供に対する向き合い方で一緒にフォローをしてほしかった。

苦手だからと言われるたび、楽しいことしかやらないのですか?という気分になります。

私の苦手なことは指摘をしてばかりで理解をしてくれないのに?

 

そんなモヤモヤがたまりにたまっていたこと。

でも、イライラしちゃいけない、娘にだけは笑顔を向けれるように。

 

そう頑張った結果がこれだったのだと思います。

 

 

けれど、このことがわからない限り、レスもイライラも解消することはなかったと思います。

 

今日は大丈夫?そんな一言も誘うときには一度もなく、心の奥底にある原因を探ることなく、私の気持ちを気にして掘り下げてくれるわけでもなく、断ればこれでいいと思ってるのか、と問われるだけでした。

私は一人で解決しなければならない様は気分にもなっていました。

私は聖人君子にはなれませんでした…。

 

でも、ここへ来て、自分を見つめ直すことができたこと、一人で思い悩んでしまったことを反省したり、改善しようと前を向けたこと、そう思えたきっかけとなり、自分らしさを少し、取り戻した気がしています。

 

 次は、夫による私への不満(レス以外の話)へ続きます。